アユタヤ

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン
スリランカへ留学していた僧の帰国を記念して、1357年にウートン王が建立したと伝えられる。
高さ72mの仏塔は、1592年にビルマ軍との戦いに勝利した記念に建てられた。
これは本来、ビルマ王が建てたワット・プー・カオ・トンにある塔よりも高いものを造る計画で
あったが、僅かに及ばなかった。
仏塔の周囲には数十体の仏座像が安置されている。また境内には涅槃像もある。

全長16mの涅槃像。
ワット・ロカヤ・スタに、これよりも
大きな全長26mの涅槃像がある。


ワット・プラ・マハタート
第2代ラーメースワン王によって建てられたという説もあるが、第3代ボーロマラーチャー
1世が仏舎利を納めるために建立したとする説が有力。
この寺院も、戦に敗れた後にビルマ軍によって破壊された。かつては頂部を黄金色で装飾された
高さ50mの仏塔があったと伝えられるが、現在は失われている。
しかし1956年にこの仏塔を修復しようとした際、土台部から黄金製の宝や仏像が
大量に発掘された。それらは現在、国立博物館に展示されている。
入口にある仏頭。
他の寺院から
ここへ移された。
高さは50cmほど。

本堂跡。
壁のみが残った礼拝堂跡。

長い年月を経て木の根に取り込まれて
しまった仏頭。現在でも信仰の対象と
なっているため、これを見下ろす高さに
立つことは許されていない。
頭部のみを持ち去られた座仏像が並ぶ。
これらは全て近年になって盗まれた。

後ろに見えるのがカンボジア様式の仏塔。
傾きが激しく今にも倒れそう。


ワット・プラ・シー・サンペット
ワット・プラ・マハタートと並ぶ、アユタヤの最重要遺跡。
第11代ラーマティボディー2世によって、1491年王室専用の寺院として建立された。
スリランカ様式の3基の仏塔には、歴代3人の王の遺骨が納められている。
1500年には171kgの金を使った高さ16mの仏像が納められたが、1767年に
ビルマ軍によって仏堂ともども破壊され、金は溶かして持ち去られたという。
歴代王の遺骨が納められた3基の
チェディ。夜にはライトアップされ、
幻想的な姿を見せる。
破壊された礼拝堂跡。

ワット・プラ・モンコン・ボピット。
ワット・プラ・シー・サンペットに隣接する
この礼拝堂は、1956年ビルマ政府の
寄付金を元に建てられた。


バン・パイン宮殿
タイ王室専用の夏の離宮。起源はアユタヤ王朝時代にまで遡る。その後、王朝廃絶とともに
廃墟と化したが、現チャクリ王朝のラマ4世と5世によって再興された。
建物はタイ様式や中国様式、ヨーロッパ様式など様々。現在残っている建物のほとんどは、
ラマ5世の時代に建てられたものだ。
左はタイ様式のパビリオン。
納涼のために使用された。
右はヨーロッパ様式の船着場。
船着場の正面入口。内部は非公開。

見晴台。最上部まで登ると、
360度のパノラマが
楽しめる。

中国様式の明天殿。貿易で富を築いた
華僑が贈ったもので、中には細かい装飾を
施した玉座や駱駝骨製の龍の彫刻
などが展示されている。
見晴台から見た明天殿の裏側。

現王族がここを訪れた時に滞在する建物。
調度品は全てヨーロッパのアンティーク。
内部は非公開。
ヨーロッパ様式の迎賓館。



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