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「Amsterdam, Rijksmuseum」から2番のトラムに乗って、「Amsterdam, Dam/Paleisstraat」で下りてダム広場(de Dam)へ。
ここは昔、アムステル川を堰き止めるダムがあった場所。
そこから「アムステルダム」という地名が生まれました。
昔「アメリカ横断ウルトラクイズ」で、「アムステルダムは、アムステル川をダムで堰き止めたことからその名が付いた。○か×か」って問題が出題されましたね〜。
広場に面して建つ大きな建物は、王宮(Koninklijk Paleis Amsterdam)。
この後、ホテルに戻ってちょっと一休み。
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中央駅から17番のトラムに乗って「Amsterdam, Westermarkt」で下車。
本日の夕食は、カミさんのリクエストでザ・パンケーキ・ベーカリー(The Pancake Bakery)へ。
そう言えば、オランダに来てハイネケンを飲んだのは、これが初めてかな? 有名店だけあって混んでたけど、幸い待つことなく座れました。
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歩いて西教会近くのアンネ・フランクの家(Anne Frank Huis)へ。
覚悟はしてたけど、結構な行列。
でも思ったより進みが良く、待ち時間は15分ほど、入場料は9EUR。
有名な本棚に見せかけた隠し扉も、当時のままの状態で保存されています。
館内は撮影禁止。
100uにも満たないスペースに、フランク一家4人+友人とその家族4人の計8人が潜伏。1944年8月4日朝、密告によりゲシュタポに全員が逮捕され、ヴェステルボルク通過収容所(独:Durchgangslager Westerbork、蘭:Kamp Westerbork)へ送られ、その後アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所(独:Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau)へ移送。
男4人は強制労働、女4人はビルケナウへ。2カ月後、アンネと姉のマルゴーはベルゲン-ベルゼン強制収容所(独:Konzentrationslager Bergen-Belsen)へ送られ、解放の数週間前に死亡。
戦後まで生き延びたのは、父親のオットー・フランク(Otto Heinrich Frank)だけ。
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一旦ホテルへ戻って、1人で駅近くのセックス・ミュージアム(Sex Museum in Amsterdam)へ。
殆どエロさはなく、日本の温泉場等にある「秘宝館」のような感じ。
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