滞在記 第2日目
(2007年5月19日)


注) 1EUR(ユーロ)=約170円。
今日は朝からカミさんと別行動。カミさんは朝早く出掛けてしまったので、 ひとりきりの朝食です。ホテルの朝食はパンとクロワッサン、オレンジジュースと コーヒーだけというシンプルなもの。せめてタマゴとハムくらいは欲しかったな〜。 でもクロワッサンとコーヒーの味は◎でした。

今日は朝から腰の調子が悪いので、朝食後に一旦部屋へ戻り8時過ぎまで ベッドで横になっていましたが、少し休んだくらいでは良くなりません。 ずっと寝ているわけにも行かないので、コルセットをキツく巻いて予定通り 航空宇宙博物館へ出発。

パリ市内から航空宇宙博物館までの行き方は、地下鉄+バスとRER+ バスの2通りがあります。同じルートでは面白くないので、行きと 帰りでそれぞれに乗ってみることにしました。バスだけでも行けますが 時間がかかります。タクシーは予算的に不可。(笑)
北駅から地下鉄7号線に乗り、終点のLa Courneuve-8 Mai 1945駅で下車。 ここから152番のバスに乗ります。バス停には行き先の停留所名が書かれた 案内図があるので、間違って反対方向行きのバスに乗ってしまうことは ないでしょう。

案内図で確認したので間違いありませんが、念のため停留所に居合わせた 黒人のお兄さんに訊いてみました。その時の会話が↓
σ(^^):英語話せる? ←フランス語
お兄さん:話せない ←フランス語
σ(^^):(フランス語で航空宇宙博物館と書いたメモを見せて)ここへ行きたい ←英語
お兄さん:ホニャホニャホニャ〜 ←フランス語

どうやら自分はその先まで行くので、下りる停留所を教えてやると言っている ようです。しばらくすると152番のバスが来たので乗車。するとお兄さんは 自分の隣の席に座れと指で合図。10分ほどで目的の停留所に着き、ここで 下りろと教えてくれました。どこの国にも親切な人はいるものです。
ちなみに、博物館に近づくにつれアリアン5ロケット(実物大)が見えて くるので、下りる停留所を間違えることはありません。

順調に来すぎて、停留所を下りたのが9時15分。開館は10時なので、博物館前の カフェに入ってペリエを飲みました。2.5EUR。フランス語ではペリー(リーに アクセント)と発音するようです。
博物館正面の看板。博物館はル・ブルジェ空港の隣にあります。 ル・ブルジェ空港と聞いてウン!?と思った人いませんか?  ここはC・リンドバーグが初の大西洋単独無着陸横断飛行に成功した時に 降り立った空港です。翼よあれがパリの灯だ!
尾翼を模った記念碑。何て書いてあるのかな?
入口正面にあるフランス空軍アクロバットチームの実物大模型。
短期間に複数の博物館や美術館へ行く場合は、このミュージアム・パスが お得。60以上の施設で使用可。ルーブルやオルセー美術館でも使えます。 これは2日間有効のパスで、お値段30EUR。裏面に使用開始年月日とサインを 記入します。
まずは初期の飛行機のコーナー。こんなので本当に空を飛べたのかな?
飛行機の形になってきました。創意工夫が感じられます。
実物と当時の写真。これは1907年の飛行機。解説は全てフランス語で 書かれているので全く読めません。英語なし。
こちらは1909年。
こちらは1912年。
こちらは1919年。これらの他にも沢山の飛行機が展示されています。
第一次大戦中に使用された軍用機の数々。 飛行機の歴史は戦争の歴史でもあります。
ドイツ空軍のフォッカーD7。
σ(^^)はこの頃の飛行機にはあまり興味がありませんでしたが、良く見ると それぞれに工夫があり感心させられます。
ちょうど第一次大戦に関する特別展が開催されていましたが、 解説は全てフランス語。(涙)
エンジンのコーナー。こちらはヒスパノ・スイザ製。
プジョー製のエンジン(左)とルノー製のエンジン(右)。
戦争には飛行船も投入されました。丸で囲われた部分が右の写真。 機関銃やライフルが装備されています。
ドイツ空軍伝説の撃墜王マンフレート・フォン・リヒトホーフェン。 彼は自らの愛機を真っ赤に塗り自分の存在を知らせた上で、80機もの 敵機を撃墜。男爵の称号を持っていたことからレッド・バロンと 呼ばれました。そう言えば、こんな名前のオートバイのチェーン店が 日本にあるな〜。
こちらは宇宙館。実物大の衛星やロケット、ミサイルが所狭しと 並べられています。
アメリカに対抗するため、フランスの宇宙開発は旧ソビエトとの 繋がりが深く、それに関する展示物が多いのが特徴。
人類初の有人宇宙飛行を成し遂げたヴォストーク1号の地球帰還船。 パイロットはユーリ・ガガーリン。右の解説板から大きさがお分かり 頂けると思います。
ソユーズT6の地球帰還船。船内の操縦パネルがアナログ!  こんな狭い空間に3人も乗っていたなんて驚きです。
実物大だけではなく、模型も多く展示されています。こちらは アリアン5ロケット。
左)アメリカのスペース・シャトル(右)と旧ソビエト版スペース・シャトルの ブラン。ブランは途中で開発が中止されました。
右)ヴォストークロケットとソユーズロケット。全てミニチュアの模型。
こちらは実物大のミサイル。写真右、オレンジ色のミサイルの高さが15mくらい。
続いてやってきたのが第二次大戦館。これはマーチンB-26G。
左)スピットファイヤーMK16。
右)P51マスタング。
左)P47サンダーボルト。
右)フォッカーウルフFW190。
左)ヤコブレフYAK-3。
右)ロンドンを襲ったV-1ロケット。
ここが当博物館のメイン、コンコルドホール。開発機と2003年に引退した エールフランスのコンコルドが2機並べて展示されています。
左が開発機で右が運用機。
ロールス・ロイス(英)とスネクマ(仏)が共同開発したオリンパス593。 アフターバーナー付きのジェットエンジン。
運用機の機首部分。コンコルドはデルタ翼機のため迎角が大きく、 離着陸時は非常に視界が悪くなります。それを補うため、機首部は 前に傾くようになっています。開発機の機首部には、 まだこの機能がありません。
↑と同じ理由で、尾翼下にもギヤ(タイヤ)が付いています。
メインギヤ。2000年7月25日、離陸滑走中に金属片を踏みタイヤがバースト。 破片が主翼下面に衝突し、内部の燃料タンクが爆発し炎上墜落。乗員9名、 乗客100名、墜落現場付近にいた4名の計113名が死亡し、これがコンコルド 引退の大きな要因となりました。
運用機の機首と胴体部。
こちらは開発機。翼が大きなデルタ翼であることが分りますね。
開発機の内部。狭い! コンコルドの内部を見学するには3EURの 別料金が必要。
コクピット。左が開発機で右が運用機。どちらもアナログ的。
運用機の内部。通路は狭いし、座席の広さはエコノミークラス以下。
ボーイング747型機とアリアン5ロケット。このアングルの写真は 博物館のポスターにもなっていました。
エール・フランスと航空宇宙博物館のダブルネーム(笑)。 コクピットは航空機関士が乗務する旧式のアナログ仕様。
アリアン5ロケット。全長52m、直径5.4m、打上時質量710,000kg。 第1段ロケットは液体酸素と液体水素の液体燃料エンジン。直径5.4m、全長31.6m、 推力113,600kgf。第2段ロケットはモノメチルヒドラジンと四酸化二窒素 の液体燃料ロケット。2基の固体燃料ブースターは、直径3.1m、全長31.6m、 推力は各660,000kgf。
最後に入ったのがフランスの戦闘機とヘリコプター館。
左)LEDUC 022
右)M.DASSAULT MirageV
左)S.O 9000 Trident
右)DASSAULT-BREGUET Mirage G8
左)DASSAULT MystereW.A
右)DASSAULT MirageV.V
左)REPUBLIC F84 F
右)DASSAULT MD 450
左)DASSAULT Mystere W A
右)Mirage 2000
DASSAULT Mirage F 1Cのスケルトンモデル。操縦席やエンジン、燃料タンクの 位置などが良くわかります。
左)PAYEN Pa 49
右)マトラ製の対空ミサイル。マトラ社は1970〜80年代にF1(←自動車レース) にコンストラクターとして参戦していました。

ギフトコーナーまで含めても、3時間あれば十分ゆっくり見学できます。 それほど飛行機に興味がなければ1時間あればOKかな? アメリカの スミソニアンとは規模が違います。

帰りも152番のバスに乗って、Jean-Jaures Division Leclercで下車。 ここからRER-B線のLe Bourget駅までは徒歩5分ほどです。

次の目的地はオルセー美術館。Le Bourget駅からRER-B線で St-Michel Notre-Dame駅まで行き、RER-C線に乗り換えです。昨日 ノートルダム寺院には行きましたが、時間が遅かったので中に入って いません。どうせ通るのだからと、St-Michel Notre-Dame駅で下りて 再度行ってみることにしました。Le Bourget駅からSt-Michel Notre-Dame駅 までは2.1EUR。

寺院の内部。あまりにも広くて(大きくて)全体を1枚の写真に 収めることは出来ません。
巨大なステンドグラス。実物は写真で見るよりも数十倍きれいです!
礼拝堂とパイプオルガン。
人と比べるとその大きさが分かるかな? 右の写真は寺院内にある ジャンヌ・ダルクの像。
寺院の外には屋台(露天)が沢山あり、様々な食べ物や飲み物が 売られています。このミルクバーもその中の一つ。濃縮果汁を牛乳で 割っただけですが、見ているとなかなか美味しそうなので 一杯飲んでみることに。

いくらなのかと料金表を探しましたが、どこにも表示がありません。 取りあえず5EUR札を準備し、前に並んでいる人がいくら払っているのか 注意深く見ていましたが、誰もお金を払っている様子がありません。 いよいよσ(^^)の番になり注文。しかし代金の請求はなし。 結局タダ飲みとなりました。
何で無料なんだ? もしかしたら他の屋台も全部タダだったのか!?  試しに他の屋台でも何か注文してみれば良かったな〜。(笑)

St-Michel Notre-Dame駅からオルセー美術館まではRERで 移動、1.4EUR。オルセー美術館はフランスを代表する美術館の一つ。 地上階、中階、上階で構成されていますが、特に上階には誰もが一度は 見たことのある名画がズラリ。
元々はオルレアン鉄道の終着駅として建てられた駅舎。今でも 鉄道駅の面影が残っています。
ファン・ゴッホの作品。「自画像」と「医師ガシェの肖像」。
こちらもファン・ゴッホの作品。「オーヴェールの教会」と「昼寝」。
クロード・モネの作品「ルーアン大聖堂・正面から見た大扉・ 茶色のハーモニー」。
こちらもクロード・モネの作品。「睡蓮の池、緑色のハーモニー」と 「睡蓮の池、ばら色のハーモニー」。
こちらもクロード・モネの作品「左向きの日傘の女」。この絵の右側には 右向きの日傘の女が飾られていて、一対の絵になっています。 とても人気があり、いつも絵の前には人がいっぱい。
左がポール・ゴーギャン、右がポール・セザンヌの作品。
オーギュスト・ルノワールの作品。「陽光の中の裸婦」と 「田舎のダンス・都会のダンス」。
σ(^^)が一番好きな作品が、このオーギュスト・ルノワール作 「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」。1990年、当時大昭和製紙の 名誉会長だった斎藤某は、この絵より一回り小さな姉妹作を7810万ドル (当時の相場で約119億円)で落札。それはまあ良しとしても、何とその後、 自分が死んだら柩に入れて一緒に焼いてくれと発言! 世界的文化遺産を 何と思っているのでしょうか? 金出して買ったんだから、後は何を しようと勝手ってこと? お金で名画は買えても人の心は買えないんですね。
朝から耐えていた腰痛が、ここに至って限界に。しばらく美術館内の ベンチに座って休んでいましたが、もう立っても座っても痛い!  本当は中階→地上階と順に見学し、その後クレイジー・ホースで ショーを観てから夜のシャンゼリゼ通りを散策。まだ余力があったら モンマルトルにも行く計画でしたが、この状態では・・・。
取りあえず一旦ホテルに戻って休むことに。美術館を出て オルセー駅からRERに乗って北駅へ。歩いてホテルまでやっとのことで 辿り着き、しばらくベッドで横になっていましたが、もうとても 動ける状態ではありません。カミさんに電話で状況を伝え、以降の 予定をキャンセルしました。オルセー駅から北駅まではRERで1.4EUR。 今になって考えるとタクシーを使えば良かった!

↑ オルセー美術館上階テラスから見た風景。ルーブル美術館と サクレクール寺院 →
18時半頃にカミさんがホテルに戻ってきたので、何とか頑張ってホテル 近くのマルシェへ夕食の買い出し。ハムのサラダ、魚のマリネ、キッシュ、 パエリヤにビール×3とジュースで約20EUR。写真のビールは3本中で 唯一マトモだったビール。
この2本は一応ビールってことになってますが、とてもビールの味では ありません。左の缶には「TEQUILA」、右の缶には「MALT WHISKY」って 書いてあるから、ビールのカクテルなのかな?

座っているのもツライので、早々に夕食を終えてベッドに横に なりましたが、とにかく痛いの一言。この後も痛みは一向に 治まらず、地獄の一夜となりました。(泣)



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