滞在記 第2日目
(2011年5月21日 土曜日)


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注) 1EUR(ユーロ)=約120円。
朝起きてテレビをつけたら、スポーツチャンネルでテキサス・ホールデム(ポーカー)のトーナメント戦を放送してました。以前、ヨーロッパではポーカーのテレビ中継があるって話は聞いたことありましたが、実際に観たのは初めて。 σ(^^)はラスベガスへプレイするために行ったこともあるほどのポーカー好き。 出発準備も忘れてしばらく観てました。

その後、昨日冷やしておいた水でアイスコーヒーを作って、これまた持参した水筒に入れて出発。 水道水は変な味も濁りもなく、何の問題もなく飲めそうです。
今日は夕方までカミさんと別行動。カミさんは終日買い物+αです。
ホテルを7:00前に出発。 ホテルの真ん前がアレキサンダープラッツ(Alexander Platz)で、駅を挟んだ反対側に建っているのが、この旧東ドイツ時代に建設された、高さ368mのベルリンテレビ塔(Berliner Fernsehturm)。 塔の中ほどにある球体は、展望台と回転レストラン。 高さは204m、晴れた日には40km以上先まで見渡せ、レストランは20分で1周するそうです。 話の種に上がってみれば良かった!  そう言えば数年前、この展望台で大火災が発生し、そのままでは塔自体が倒壊してしまうという危機を、勇敢な消防士が決死の消火で食い止めるというB級ドイツ映画を観たことがあります。
昨晩ホテルへ戻って調べた結果、自販機で買える72時間乗り放題+博物館島入場券で問題なしの結論に。 σ(^^)は郊外まで行くのでゾーンABC、カミサンは市内だけなので、ゾーンABを購入。 購入後に良く見たら、ベルリン・ウェルカムカード(Berlin WelcomeCard)ではなく、シティ・ツアーカード(CityTourCard)でした。 この2つのカード、もしかしたら入場料の割引率が違うとか、何か違いがあるのかな?  でも基本的には、こちらでも全く問題なし。使い初めに自分で改札機に通して日時を刻印します。
今日はベルリンと郊外へ行く予定。歴史大好きなσ(^^)は、現在のベルリンには殆ど興味がありません。 滞在期間中は、出来るだけ第二次大戦前のナチス政権時代から、ベルリンの壁が崩壊する前の社会主義時代までの足跡や史跡を訪ねる予定です。
アレキサンダープラッツ駅7:33発Brandenburg Hbf行きのRE(RegionalExpress)に乗って出発。Sバーンが各駅停車なのに対して、REは特急とか快速って感じかな。 まず向かったのがポツダム(Potsdam)。各車両には、停車駅と到着予定時刻が表示されるモニターが設置されていました。
ポツダム中央駅(Potsdam Hauptbahnhof)に着いたのが、定刻から6分遅れの8:12。 駅を出ると正面がバス乗り場。8:18発Gutenpaaren行き614番のバスに乗ってサンスーシ宮殿(Schloss Sanssouci)停留所で下車。 乗車時間は10分ほど、停留所は宮殿の裏。写真を撮りながら歩いて案内板に従って進むと。
見えてくるのが、この大きな風車小屋。 サンスーシ宮殿完成後に景観に入る位置に建っていたため、フリードリヒ2世が取り壊しを命じましたが、農夫からの生活を奪わないでほしいという訴えを受け、王はこの風車をそのまま残したという逸話があるそうです。
ちょうど風車の前にインフォメーションセンターがあったので、「サンスーシ宮殿の入場券はどこで何時から発売?」って訊ねたら、「宮殿裏のチケットセンターで10時から発売開始」の返答。 まあ予想通りの回答だったので、それまで庭園を散策することに。
これがサンスーシ宮殿。 プロイセン王国時代の1745年から1747年にかけて、フリードリヒ2世の命により夏の離宮として建てられましたが、結果的にはここが居城となりました。
正面の階段を下りて、大きな池の向こうから撮ったサンスーシー宮殿の全景。 宮殿は6段の階段状庭園の最上段に建てられています。 各段は温室になっていて、無花果やブドウが栽培されています。
サンスーシー宮殿の庭園は広大。某ガイドブックのモデルルートを歩くだけも3km近い!  自転車があればな〜、なんて思っても仕方ないので、新宮殿に向けて出発。 しかし現在8:50、ノンビリ歩いていたら10:00まで戻って来られない!  周りには庭内をジョギングする人が沢山います。σ(^^)も倣ってランニング開始!  ところが自転車なら1日300km以上走れるのに、ランニングとなると勝手が違う!  数百メートル走っただけで息が上がってしまいました。情けない・・・。
写真はサンスーシー宮殿の西に建つ別の宮殿。後ろにさっきの大きな風車が見えます。 確かに目障りだから壊せって言いたくなる気持ちも分からなくない。
サンスーシー宮殿から1kmほど西に、7年戦争(1756〜1763年)に勝利した後、フリードリヒ2世によって建設された、バロック様式の新宮殿があります。 戦争に勝ったプロイセン王国の国威を誇示するための宮殿で、迎賓館として使われました。 室数は200室以上。内部の見学も可能ですが(もちろん有料)、今回は時間がないのでパス。
新宮殿から南へ700〜800m行くと、見えてくるのがこのシャルロッテンホーフ宮殿 (Schloss Charlottenhof)。 こちらも内部の見学可ですが(当然有料)、時間がないのでパス。
そのすぐ北にあるのが、このローマ風浴場(Romische Bader)。 こちらも内部の見学可ですが、まだ係員がいなかったので、窓から中が見えました。
サンスーシー宮殿へ向かって500mほど行った所にあるのが、この中国茶館(Chinesisches Teehaus)。 こちらも内部の見学可ですが(言うまでもなく有料)、時間がないのでパス。
庭園内の全ての施設に入場するなら、移動時間も含めて最低4〜5時間は必要です。
サンスーシー宮殿に戻ったのが9:40。メッチャ疲れた!  宮殿裏のチケットセンターへ行ったら、既に10人ほどが並んでいます。 すぐにσ(^^)も列に加わったら、5分も経たずに更に10人ほどが並び、更に5分も経たないうちにフランス人の団体客がドッとやってきました。 もう少し遅かったらヤバかったかも! 10:00前に扉が開き、無事本日1発目10:15からの見学ツアーチケットをゲット。 料金はオーディオガイド込みで(日本語あり)12EUR、写真撮影代が3EUR。 この写真撮影代は、当日なら全ての施設で使用可能です。 ちょっと前までは、内部の写真撮影は禁止されていたそうです。ラッキー! 左の写真が入場券。 一番下に入場時間が印字されています。右の写真が撮影券。 広げると輪になり、それをカメラのストラップや手首に巻き付けて使用します。
宮殿内は個人見学不可。30人ほどを1グループとし、15分間隔で入場します。 ハイシーズンには2〜3時間待ちになることもあるとか。写真左は見学エントランス。 場所はチケットセンターから東へ歩いてすぐ。 ちなみに真ん中と右の写真は、宮殿正面東側にあるフリードリッヒ2世と愛犬の墓。
内部には12の部屋があります。 ブルボン王朝やハプスブルグ家の宮殿ほど豪華絢爛ではありませんが、見る価値は十分。
中でも見どころは、大理石の間や謁見の間。
絵画も沢山飾られています。有名画家の作品なのかな?
左は宮殿の中央に位置する楕円の間。シャンデリアも見事です。
最後の部屋が寝室。当時のベッドがそのままの状態で保存されていますが、今のサイズと比べると小さい!  当時の人って、こんなに小さかったのか? オーディオガイドを適当に聴いて、サクサクっと20分ほどで見学終了。
行きのバスからオベリスクが見えたので、歩いて行ってみました。 多分本物のオベリスクだと思いますが、何でこんな場所に立ってるのかな?  説明書きがなかったので詳細は不明。 そこから歩いてポツダムのブランデンブルク門へ。1770年にフリードリヒ大王によって、オーストリアとの7年戦争の戦勝記念に建てられた由緒ある凱旋門。小さいけどなかなか立派な造りです。 ここから真っ直ぐ、St.Peter und Paul教会までのブランデンブルガー通り(Brandenburger Strasse)は歩行者天国になっていて、両側には様々な店が立ち並んでいます。
St.Peter und Paul教会近くのバス停から695番のバスに乗ってReiterweg/Alleestrasseで降り、603番のバスに乗り換えてツェツィリエンホーフ宮殿(Schloss Cecilienhof)停留所に11:09着。 宮殿までは歩いてすぐ。1917年に当時皇太子だったヴィルヘルム2世によって建設されましたが、世界的にその名が知られるようになったのは、ここでポツダム会談が開かれたため。
左の写真は、宮殿正面(上の左の写真)の2階左側のアップ。笑う犬の顔に見えません?(笑)
真ん中と右は煙突。レンガ造りですが、どれも芸術的!
宮殿内にはいくつもの部屋がありますが、最大の見どころは、1945年7月17日〜8月2日に第二次大戦の戦後処理と日本の終戦について話し合われた「ポツダム会談」が開催されたこの部屋。
左側が当時の写真。肘掛け付きの大きな椅子に座ったのが、3カ国の代表だったスターリン・トルーマン・チャーチル。 ここで、全日本軍の無条件降伏等を求めた全13か条から成る「ポツダム宣言」と、第二次大戦後のヨーロッパの処理、主にドイツの戦後統治についての取り決め「ポツダム協定」が採択されました。 当時の写真や資料も沢山展示されています。入場料は5EUR。写真撮影代は3EURですが、さっきサンスーシ宮殿で買った撮影券がここでも使えます!
11:49発のバスに乗って、ポツダム中央駅着が12:09。 来た時に降りたバス停から乗ると次が終点、そのまま折り返しで中央駅行きになります。 左がバスの車内。右は中央駅前に設置されていた電光掲示板。 左がバス番号、真ん中が目的地(最終バス停名)、右が到着までの待ち時間。 同様の電光掲示板は、他の幾つかのバス停にも設置されていました。
12:21発ベルリン中央駅(Berlin Hauptbahnhof)行きのREに乗ろうと待っていたら、いつまで経っても電車が来ない!  しばらくすると掲示板の到着予定時刻が12:35に。 これは更に遅れる可能性も! すぐにホームを移動してSバーンに乗り、ベルリン・ヴァンゼー駅(Berlin-Wannsee)に 着いたのが12:45。12:57発Heckeshorn行き114番のバスは、少し遅れて13:05に出発。 ヴァンゼー会議記念館(Haus der Wannsee-Konferenz)前のバス停に着いたのは、予定より10分以上遅れた13:15。 記念館はバス停から歩いてすぐ。
1942年1月20日、ここで開催されたヴァンゼー会議(Wannseekonferenz)で、ヨーロッパに住むユダヤ人に対する最終的解決(大量移送と殺害)についての分担と連携が討議されたと言われています。 しかし証拠とされる書類には、当時の公式文書に用いられた連続番号や、作成担当者および会議参加者のサインがない等の不信点も多く、ニュルンベルク国際軍事裁判の検察局員による偽造説もあるようです。
現在内部は資料館になっていて、ナチ台頭からユダヤ人迫害の歴史が、パネル写真や資料を用いて年代順に解説されています。
こちらもパネル写真の一部。左は、 国家元帥ヘルマン・ゲーリング(Hermann Goring・一番右)の誕生日を祝うために集まったナチ高官の写真。 一番左がクルト・ダリューゲ(Kurt Daluege)親衛隊上級大将。 隣がラインハルト・ハイドリヒ(Reinhard Heydrich)国家保安本部(RSHA)初代長官。 ゲーリングと握手をしているのがハインリヒ・ヒムラー(Heinrich Himmler)親衛隊(SS)長官。 真ん中の写真が組織系統図。右の写真の一番上の真ん中が、戦後アルゼンチンへ逃亡し、イスラエルの秘密機関モサドによって逮捕されたアドルフ・アイヒマン(Adolf Eichmann)。

見学を終えてバス停へ。13:43発ベルリン・ヴァンゼー駅行きのバスに乗って移動する予定でしたが、実際にバスが来たのは14:08! 結局予定より30分遅い14:29発のREに乗り、途中アレキサンダープラッツ駅でUバーンに乗り換えてマグダレーネンシュトラッセ駅(Magdalenenstrasse)で下車。 ここで15分近く迷って、ようやくシュタージ博物館(Stasi Museum)着。

階段で2階へ上がると最初に展示されているのが、秘密警察のトップだったエーリッヒ・ミールケ大臣の執務室をそのまま再現した部屋。 と言っても、大きな机と肘掛け付きの椅子が3脚、机の上には黒電話が2台、椅子の脇に何やら沢山のボタンが付いた電話があるだけ。 驚くほど質素! それが共産主義的な雰囲気で逆に怖い!
こちらも再現された応接セット(会議用?)。 棚の中には、録音用のオープンリールデッキが設置されています。
1・2階の展示フロア。特に興味深いのが2階に展示されている、実際に使われていたスパイグッズの数々。
左は胸に小型カメラが仕込まれたコート。2枚目の写真がその構造。3枚目はカバンやアタッシュケース内に仕込まれた無線機。 一番右は腕時計型の録音機。他にも様々な物にカモフラージュされた監視カメラやセンサーが展示されています。
左は博物館の外観。 博物館は元々当時中央庁舎として使われていた建物の中にあったはずですが、現在工事中のため、隣にあるこちらの建物で 仮営業中なのかな? 入場料は5EURでした。 右の大型団地のような建物は、シュタージとして使われていた建物の一部。 実際の大きさは、この建物×10倍くらい。 正規職員+IMと呼ばれた密告者の総数は、約190万人とも言われているそうです!
第79回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した映画「Das Leben der Anderen(邦題は「善き人のためのソナタ」)は、シュタージの活動内容を取り上げた作品。DVD化されているので、興味のある方はどうぞ。σ(^^)も保存版にしている映画です。

この後、トレプトウ公園(Treptow Park)へ行こうと電車に乗り、実際トレプトウ公園駅まで行きましたが、駅から公園までは1km強。 往復歩くとカミサンとの待ち合わせ時間に間に合わなくなりそうなので、諦めて引き返して待ち合わせ場所のヴァルシャウアーシュトラッセ駅(Warschauer Strasse)へ。 着いたのは待ち合わせ時間より10分早い16:50。 間もなくカミサンと合流して、旧東ドイツ時代の雑貨を売る「インターショップ2000」という店へ向かいましたが、残念ながら現在店舗移転に伴う休業中。 来た道を引き返してイーストサイドギャラリー(East Side Gallery )へ。

シュプレー川沿いのミューレン通り(Muhlen Strasse)に約1.3kmの壁が残されていて、そこにドイツ内外の画家が描いた壁画が保存されています。 排気ガスや長年の風雪に加え、上から別の落書きで絵は痛み、殆どの絵は最近描き直されたようです。 なぜか日本を題材にした作品も。
最も有名な絵が、真ん中のブレジネフ書記長とホーネッカー議長のキスシーン「兄弟のキス」。 別にホモってわけじゃないですよ。 東欧やロシア、中近東やラテン諸国では、男同士が挨拶としてキスすることもあるそうです。 と言われても、もし目の前でこんな熱烈キスされたら間違いなく引くな。(笑)
やっぱり壁を越えるとか壊すとか、そんな題材の絵が多かったように思います。
ベルリン東駅 (Berlin Ostbahnhof)からSバーンでアレキサンダープラッツ駅へ移動して、バスに乗り換えてベルリン大聖堂 (Berliner Dom)へ。 時間の関係で中には入れなかったので、改めて明後日の午前中に出直すことに。 天気が良く、ちょうどテレビ塔とのダブルショットが撮れました。
大聖堂から歩いてDDR博物館(DDR Museum)へ。場所はシュプレー川を挟んだ大聖堂の反対側。 入ってすぐ左側にあるのが、この旧東ドイツの国民車トラバント、通称トラビ。 車の前にスクリーンが設置されていて、それがドライブシュミレーターになってるって話でしたが、キーを回してもセル音が聴こえるだけ。 故障中だったのかな?
こちらは旧東ドイツの、一般的な家庭の台所や居間を再現。台所には時代を感じさせる家電や食器類が並んでました。 居間のテレビで放送されていたのは、ホーネッカー議長の演説。 ドイツが分からないから、何を言っているのかはチンプンカンプン。(笑)
様々な展示物と内容で結構楽しめます。入場料は4.5EUR。
ホテル前にあるガレリア(大型デパート)の食料品売場で夕食とビールを買い出し。 ローストポークにサラダやチーズ、冷えたビールも沢山買って、会計は24.31EUR。 右は今晩飲んだビール。 左から美味しかった順に並べてみました。BECKのライム味は、ライムを搾ったコロナビールみたいで旨い!



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