滞在記 第2日目
(2019年5月25日 土曜日)


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注) 1ILS(イスラエル・シェケル)=約31円。
2時に目が覚めたけど頑張って二度寝、それでもまた4時に目が覚めたので、起きて行動開始。
旅行時は良く寝られないのは、いつものこと。 そういう時は無理して寝ようとせず、早く起きて早めの行動。 その分、早く帰ってきてゆっくり休めばOK。

ネットで調べたら、「イスラエルは水道水がそのまま飲める、数少ない国の1つ」らしいけど、それでもちょっと心配だったから、電気ケトルで沸騰させて、そのまま冷蔵庫へ。
6:00前にホテルを出発。 ここは、LRT(Jerusalem Light Rail)が走るメインストリートだけど、猫の子1匹いない、まるで元日の朝のような光景。 「シャバットの日は、ユダヤ人地区は全ての店が閉まるので、コーヒー1杯飲めない」なんて話を聞いたことがあるけど、あながち大袈裟ではないかも。 もちろん、夕方までLRTも運休なので、移動はテク。

シャバットはユダヤ教の安息日、他の宗教の人には無関係なので、今日はアラブ・バスに乗って、ベツレヘム(Bethiehem)へ。
滞在中に何度かLRTに乗る予定なので、今のうちにチケットを買っておくことに。 券売機には、英語ページもあるので問題なし。 ところが、使える紙幣は20ILSまで。 手持ちは、100ILS札×9と、20ILS札×1。 ここで20ILS札を使って、後でアラブ・バスに乗る時に「釣り銭がない」なんて言われると困るので、ここでの購入は見送ることに。
通りに貼られていたポスター。 「イスラエルの首都はエルサレム(Jerusalem)」という、現政権の主張を認めたアメリカのトランプ大統領に対する感謝のメッセージ?
旧市街への入口にある、「I love JLM」のオブジェ?(何ていう表現が正解?)。 世界中どこへ行っても、似たような物がありますね。
城壁沿いに北へ向かって歩くと、右側にあるのが新門(New Gate)。 更に歩くと見えてくるのが、城門の中で最も美しく、人で賑わっていると言われるダマスカス門(Damascus Gate)。
アラブ・バスのターミナルは、ダマスカス門のすぐ近く。 昨晩ホテルのスタッフから、「ベツレヘム行きのバスは231番で、始発は多分6:30」って聞いていたので、近くのベンチに座って待ち。 しばらくしたら231番のバスがやって来たので乗車。 バス代は運転手に直払い、7ILS。 間もなく(7:00)発車、乗車率は1/3くらい。
途中のバス停でも乗り込んできて、乗車率は半分強くらいに。 しばらく走って左側に見えてきたのが、悪名高い分離壁。 この光景が、延々と続きます。
ベツレヘム着は7:35、バス停はヘブロン・ロード沿い。 バスから降りると、すぐにタクシーの客引きが群がってきたけど、全て無視してチルドレン・ストリートへ。 ようやくタクシーの客引きがいなくなったと思ったら、今度は「どこへ行くの? 道案内しようか? 僕は君を助けたいんだ」なんて言いながら近寄って来る奴が。 自分から親切心を売り物にする輩にロクな奴はいないので、ここでも完全無視。
途中の二股を左へ進むとスークだけど、まだ開店前。 階段を下りた先にあるのがメンジャー広場(Manger Square)、広場に面して建つのが、最古にして唯一のモスク、ジャーマ・アル・オマル(Omar Mosque)。
メンジャー広場の、ジャーマ・アル・オマルの反対側に面して建つのが、イエス・キリストが生まれたとされる降誕教会(Church of Nativity)。
入口の高さは1mくらい、通称「謙虚のドア」から教会内へ。
大理石の太い柱が2列に並び、天井からは多くの金属製のランプ。 正面に祭壇、祭壇手前の右上にはきれいなモザイク画が多数。 床に開けられた穴からは、コンスタンティヌス帝時代のモザイクを見ることも。
祭壇の右に地下墓への入口があるけど、団体が入場していて個人は入場不可。
待ってる間に、隣の聖カテリーナ教会へ行ったけど、礼拝中だったので早々に退散。 正面のステンドグラスが見事。 いつも書くけど、ステンドグラスの凄さや美しさは、写真では伝わりません。
教会正面の広場と回廊、回廊のモザイク画。 落ち着いた雰囲気と威厳のある回廊は、好きな場所の1つ。 ちなみに今まで行った中で最も素晴らしかった回廊は、リスボンのジェロニモス修道院(Mosteiro dos Jeronimos)。
降誕教会へ戻ったら、地下墓への入口が椅子で囲われているじゃないですか! どういうことかと訊ねたら、「これから礼拝が行われるので、午前中は入場不可」だって! 教会を出て、隣のミルク・グロット(Milk Grotto Church)へ行ったら、やはり午前中は入場不可。 そこで、先にバンクシー(Banksy)の絵と分離壁、ザ・ウォールド・オフ・ホテル(The Walled Off Hotel)へ行くことに。


バンクシーの絵の中で、最も有名な「花束を投げる男」が描かれた場所までは、歩いて行くのはとても無理。 そこで、「ハートを出す天使」→「花束を投げる男」→「ザ・ウォールド・オフ・ホテル」までタクシーで移動することに。 相場は60〜80ILSと事前調査済み。
メンジャー広場へ行くとすぐに運ちゃんが話し掛けてきたので、「↑でいくら?」って訊いたら「100ILS」なんて眠たいことを! 以降のやり取りは、「高過ぎだろう! 他のタクシーを探す」 → 「いくらなら出せる?」 →「60ILS」 → 「60ILSじゃ誰も行かない。80ILSでどうだ」ってことになり、交渉成立。 値切った額は約600円だけど、金額の問題じゃないんですよね。(笑)
乗車後も、「○○という素晴らしい場所がある。往復で小1時間で行けるがどうだ?」とか、「○○という景色がいい場所がある。ここまで来て行かない手はないぞ」のようなマシンガンセールスを受けたけど、どれもお断り。

出発から間もなくして着いたのが、「ハートを出す天使」の絵。 町工場の駐車場のブロック塀に描かれている、とても小さな絵で、大きさは50〜60cm四方くらい。
しばらく走って着いたのが、ガソリンスタンドに隣接する自動車の整備工場。 その工場の壁一面に描かれているのが、この「花束を投げる男」。 アップで見ると、顔も花束も雑に描かれているけど、全体で見ると、とても簡単に描いたようには見えません。
そこから15分ほどで、ザ・ウォールド・オフ・ホテル、通称バンクシー・ホテルに到着。 分離壁の正面に建つ、「世界一眺めが悪いホテル」。 タクシーとは、ここでお別れ。
窓枠や塀に描かれているのは、だまし絵。
北へ向かう通りの、左側の分離壁。 バンクシーの絵じゃないけど、有名な銃を持ったパレスチナ人女性の絵があるのがここ。 ちょうどベツレヘム・イン(Bethlehem Inn)の正面あたり。
ザ・ウォールド・オフ・ホテルの北側、西へ向かう狭い道の分離壁。
偽物との意見もあったけど、一応バンクシーの絵と言われていた「風船の少女」があるのがここ。 他の絵や写真に被せられてしまってました。
メッセージ性の強い絵。 「JUST REMOVE IT」は秀逸。 一番右は、元々はイスラエルのネタニヤフ首相とアメリカのトランプ大統領の絵だったのかな?
バンクシー風の絵は、沢山あります。
ヘブロン・ロードへ出た、南端の角の監視塔。
皮肉? それとも分離壁建設を支持するトランプ大統領の支持者が描いた絵?
もう少し南下した場所にあるのが、バンクシー作「防弾チョッキを着た鳩」。 更に南下した土産屋の中に「兵士をボディチェックする少女」の絵があるけど、まだ開店前でした。

結局、最初のスタート地点となったバス停に戻ってきたのが10:00前。 再びチルドレン・ストリートを歩いて、スークを抜けてメンジャー広場へ。 そこで地元民に訊ねたら、降誕教会の地下墓へ入れるのは12:20〜らしい。 その間も、タクシーの客引きは引きも切らず。 スークをひと回りしたけど、売っている物は殆ど日用品ばかりで時間が潰れず。 ってことで、地下墓とミルク・グロットはパスして、エルサレムへ戻ることに。


10:50発のエルサレム行きに乗車。 バス停は、来た時に降りた場所と同じ。
出発して間もなく、来る時はスルーだった検問所に停車。 外国人観光客は車内に残り、パレスチナ人と思われる人達はバスを降りて列に並び、バスもその列の横へ移動。
しばらくして、マシンガンを持った3人のイスラエル兵がバスに乗り込んで来て、パスポートチェック開始。 すると、最後列に座っていた青年と何やら会話。 ヘブライ語だから何を話しているのか分からないけど、どうやら青年が「身分証明書を持ってない(忘れたきた?)けど、自分は怪しい者じゃない」と言ってるような感じ。 しかし認められず、降車を命じられて車外へ。 パスポートチェックを終えた兵士も、続くように降車。
するとその3人の兵士が、先ほど降車して列に並んでいた人達のIDをチェック。 確認を受けたパレスチナ人と思われる人達が、再びバスに乗り込んでくるではないですか! ボディチェックや手荷物検査を受けることもなし。 それなら外国人観光客同様、車内でチェックすればいいんじゃねぇのか?
おそらくこれは、「パレスチナ人に対する嫌がらせ」なんでしょうね。 乗車後すぐに出発、身分証明書を持っていなかった青年だけが、乗車を許されませんでした。
「これがイスラエルの、パレスチナに対するやり方か〜!」。この一件を見ることが出来ただけでも、パレスチナへ行った価値がありました。

11:15に、ダマスカス門近くのバスターミナルに到着。 ヤッフォ門(Jaffa Gate)から旧市街へ入って、シャバットでも開いているダビデの塔(Tower of David)へ。 入場料は40ILS。
かつての要塞。 現在は、第1神殿時代に先行するカナン時代から20世紀のイスラエル建国に至るまでのエルサレムの歴史を、資料や模型等で紹介する歴史博物館。
まずは展望台になっている、ファサヘルの塔へ。 塔上から見た城内と、エルサレム新市街。
同じく塔上から見た、オリーブ山(Mt.of Olives)方面。 旧市街の象徴とも言える、岩のドーム(Temple Mount)、遠くにマグダラ・マリア教会(Church of Mary Magdalene)やユダヤ人墓地も。
展望台を下りて時計回りに回ると、時代が新しくなりエルサレムが発展していく様子が分かる仕組み。
まずは、東塔2階の「第1神殿時代」。 第1神殿時代のダビデの町を再現した模型等があります。
「エルサレム帰還〜第2神殿時代」。 バビロンの捕囚の様子や、第2神殿の模型等。
展示室に入って、すぐ左側の解説板に「By the Rivers of Babylon」の文字が。 これは、σ(^^)が中学生の時に大ヒットした、ボニーM(Boney M)の「バビロンの河」の歌い出しと同じ。 「♪By the rivers of Babylon, there we sat down. Ye-ah we wept, when we remembered Zion♪(バビロン川のほとりに座り、我々は故郷ザイオン(エルサレム)を思って泣いた)」。
バビロンの捕囚を歌った曲だと知ったのは、ずっと後になってから。
「後期ローマ時代〜ビザンツ時代」。 ローマ占領時代以降のエルサレムの解説。 モザイク画や、ハドリアヌス帝の胸像も展示されてるけど、一番の見所は、ローマ皇帝コンスタンティヌスの母ヘレナが建設した、初期の聖墳墓教会の模型。
「初期イスラム時代〜アイユーブ朝・十字軍時代」。 かつてはモスクとして使用されていた部屋に、ミフラーブや岩のドームのミニチュア等を展示。
イスラム教徒以外、岩のドームの中には入れないので、このミニチュアは内部の様子が分かる重要な資料。
ゆっくり見たけど、所要時間は45分ほど。 まだ昼過ぎ、これからどうしよ〜。
かなり暑くなってきたので、取りあえず一旦ホテルへ戻ることに。
まだバスもLRTも動いてないので、ホテルまではテク。 道中、全ての店が閉まってる中、なぜか1件だけ営業している商店が! 経営者がアラブ系? うれしいことに、冷えたビール売ってる! ローカルビールを3本購入、左から10ILS・12ILS・14ILS。
シャバット中でも開館していて、ここからテクで行ける施設はないかと調べたら、「イスラエル博物館(The Israel Museum)」が17:00までで、ここから徒歩25分。 イスラエル博物館には、明後日の午後に行く予定だったけど前倒し、ブラブラ歩いて行ってみることに。 地図では分からないけど、道中は結構なアップダウン。 それでも予想時間通りに到着、入館料は54ILS。 ここのメインは、この変わった形をした建物、「死海写本館(Shrine of the Book)」。
1947年の夏に、死海西北のクムランで、迷子になった羊を探していたベドウィンの少年によって、洞窟の中で偶然見つかったのが死海写本。 紀元前3世紀〜紀元後1世紀に筆写された、今日まで発見されている世界最古のヘブライ語聖典。
2000年以上経過しているとは、とても思えない好状態。 後になって気付いたけど、もしかしたら館内は撮影禁止だったかも。
「死海写本館」の西側にあるのが、「第2神殿時代の模型(Model of Jerusalem in 2nd Temple Period)」。
実際の1/50の大きさに縮小された、第2神殿時代(紀元前538年〜紀元後70年)のエルサレムの精巧な模型。
確かに、細かい箇所まで造り込まれてます。 行ったことないけど、「東武ワールドスクエア」もこんな感じ!?(笑)
「第2神殿時代の模型」の南側にある、「ビリー・ローズ・アート・ガーデン(Billy Rose Art Garden)」。 規模の小さな「箱根彫刻の森美術館」って感じ。 左はピカソ(Pablo Picasso)作、ロバート・インディアナ(Robert Indiana)の作品は、ヘブライ語で「LOVE」って書かれてる?
屋外には、他にも数点の作品が展示されてます。
「これにて終了かな」と思ったら、一番南側に「ファイン・アート・ウィング(Fine Art Wing)」って美術棟があるとパンフレットに書かれていたので行ってみることに。 そうしたらナント、素晴らしい絵がいっぱいあるじゃないですか!

σ(^^)が一番好きな、ゴッホ(Vincent van Gogh)の絵。
「Corn Fields and Poppies, 1888」、「Corn Harvest in Provence, 1888」。
ゴーギャン(Paul Gauguin)。
「Houses at Vaugirard, 1880」、「Landscape with Dog, 1903」、
「Village in Martinique, 1887」、「Upa Upa(The Fire Dance), 1891」。
セザンヌ(Paul Cezanne)の「The Tree by the Bend, 1881-82」と、
ルノアール(Pierre-Auguste Renoir)の「Portrait of Mme Paulin, late 1880s」と「Portrait of M.Lestringuez, 1878」。
モネ(Claude Monet)の「Pond with Water Lilies, 1907」と「The Cliff of Aval,Etretat, 1885」。
バスキア(Jean-Michel Basquiat)の「Agony of the Feet, 1982」。 どこぞの社長が、彼の絵を120億円超で買ったような。
←はともかく、こんなに沢山の素晴らしい絵があるとは知らなかった! ちゃんとパンフレットを見ていなかったら、危うくスルーするトコでした。
帰りは来た道と違う住宅街を歩いてたら、キャバリアを散歩させてるオバサンがいたので、写真撮らせてもらいました。 同じカラーだけど、ココ♀の方が可愛かったな。(笑)
「名前は?」って訊いたら、「Mochi」という返答。 「何でMochiなの?」って訊いたら、「一番下の娘がつけた。小さくて美味しいケーキの名前だって言ってた」と。 「σ(^^)は日本から来た。Mochiは、日本の米から作られる食品の名前だよ」って言ったら、「えっ、そうなの!?」って驚いてました。 もしかしたら、イスラエルや中東に、「Mochi」って名前のケーキか菓子があるのかな?
しばらく歩いていると、「デイビッド・レズニック小路」という看板が。 「レズニック? 確かスペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故で亡くなった、アメリカ人女性2人目の宇宙飛行士の名前が、ジュディス・レズニックだったな〜」と思ってネットで調べたら、「ジュディスは、宇宙へ行った最初のユダヤ系アメリカ人、ユダヤ系女性で、ユダヤ人全体でもソビエト連邦のボリス・ヴォリノフに続いて2人目」という記載が。 ユダヤ人に多い名字? それとも偶然?
エルサレム市内には、野良猫がいっぱい! その中で、可愛かったのがこの猫。
ホテルへ戻って、さっき買って冷蔵庫で冷やしておいたビール飲みながら、テレビ観ながらノンビリ。

湿度は低いけど、日中の日差しの強さは、日本とは比較にならない! 「暑い」ではなく、「熱い」って感じ。 けど、日陰に入って風が吹くと涼しいし、朝晩は半袖では寒いくらい。 エルサレムは「ケッペンの気候区分」では「地中海性気候」になるらしいけど、σ(^^)の体感的には「砂漠気候」。
そこで、明日は早起きして夜明け前から行動開始、日中はホテルorどこかで休むか、早い時間に観光を終えてホテルへ戻ってくる作戦に変更。



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