滞在記 第3日目
(2006年10月22日)


許田ICから高速道路で那覇へ。最初の目的地である首里城公園に 着いたのが9:00。まず向かったのが守礼門。城郭外の坊門の一つで、中国に よく見られる三間牌楼に類似。1500年代中頃に中国からの使者を迎えるために 造られたと考えられています。1933年に国宝に指定されましたが、沖縄戦で完全に 破壊されたため、1958年に復元されました。
歓会門。首里城の城郭内へ入る第一正門で、通称は「あまへ御門」。 あまへとは喜びの意味で、歓会はその漢訳。沖縄戦で焼失しましたが、1974年に 復元されました。
瑞泉門。首里城第二の門で、別名「ひかわ御門」。建造は1470年頃と 推定されており、門の名称は門前右下にある、王宮や冊封使の飲料水として 利用された「龍樋」に由来します。瑞泉とは、その水を讃えた言葉。 こちらも沖縄戦で焼失しましたが、正殿とともに復元されました。
下之御庭。「下の庭」という意味で、首里城正殿のある「御庭」へ入る前の広場。 正殿前で行われる様々な儀式の控えの場でもあり、正殿の建築工事の際には 資材置き場として使用されました。
正殿。琉球王国最大の建造物で「国殿」や「百浦添御殿」とも呼ばれた、全琉球国支配を 象徴する最も重要な建物。日本や中国、朝鮮半島にも類例のない、琉球独自の 建築形式。現在の建物は1712年頃に建立され、数度の大修理を重ねながらも 戦前まで存在した正殿をモデルに復元したものです。
左:正殿内の玉座。
右:正殿前で行われた儀式を再現したミニチュア。映画「ラストエンペラー」の ワンシーンを観ているよう。
玉陵。第二尚氏王統歴代の墓陵で、第三代の尚真王が父、尚円王の遺骨を 移すために1501年頃に築いたと言われています。遺体は火葬せず自然に 白骨化するまで待ち、遺骨は洗われて独特な骨壺に入れられてから 安置されます。2000年には世界遺産に登録されました。
首里城公園から歩いて金城町の石畳へ。琉球石灰岩で造られた石畳道の両側には 昔ながらの赤瓦の家屋もあり、情緒あふれる散歩道は「日本の道100選」にも 指定されています。電柱を無くせば、もっと景色が良くなると思うのですが。
沖縄独特の赤瓦の家屋。田舎町へ行っても、あまり見掛けませんでした。
内金城嶽の大アカギ 。石畳道の中間付近から脇道に入ると内金城嶽があり、 その敷地内に樹齢200〜300年の大アカギの木が6本あります。 これは「首里金城の大アカギ」と呼ばれている巨木で、国の天然記念物にも 指定されています。樹齢は約200年、樹高は10〜15mで、最大直径は約140cm。
かつては首里城内や周辺にも大木がありましたが、第二次大戦でほとんど 焼失してしまったそうです。
右:樹の根元に自然に出来た祠。
ところで、沖縄の路地を歩いていると随所で見掛けるのがこの「石厳當」。 最初に見た時は変わった名字の人の表札だと思ったのですが、それにしては 通常よりも随分低い位置に設置されているし、その数も少なくありません。 調べてみたら、これは沖縄を中心とした南西諸島で多く見られる魔除け。 一般に悪鬼は直進する性質があるため、道を直進してきた悪鬼がT字路に ぶつかると、その家の中に進入すると言われています。そこでT字路などの 突き当たりにこれを置き、魔除けとしているそうです。
弁財天堂。円覚寺総門前の円鑑池という池の中の島にある小堂。1502年、 朝鮮から贈られていた経典を収納するため建立されました。こちらも沖縄戦で 破壊されましたが、1968年に復元。手前の天女橋は1969年に復元されたものです。 弁財天堂は、航海安全を司る水の神・弁財天を祀っています。
昼食は首里城公園近くの琉球茶房「あしびうなぁ」へ。昔の特権階級が 住んでいた屋敷を改装した店舗。数々のテレビ番組で取り上げられている こともあり、開店と同時にほぼ満席。
縁側に座って庭園を見ながらゆっくり食事が出来ます。 夜なら泡盛ですね!
左:いかすみ麺焼そば定食。
右:ゆし豆腐定食。
まだ少しだけお腹に余裕があったので、沖縄そばの店「風庵」へ。 古い民家を改装した店で、店内はちょっとレトロな雰囲気。 そば以外にも、パンプキンぜんざいが美味しいと評判です。
左:沖縄そば。ピンボケでm(_ _)m
右:昭和の民家の居間のような店内。
「ひめゆりの塔」。ここは沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の 生徒222人により構成された「ひめゆり部隊」が、看護活動を行っていた 最後の場所、旧陸軍第3外科壕跡。1945年6月18日、ひめゆり部隊に 突然軍から解散命令。直後に米軍によるガス弾攻撃を受け多くが死亡。 生き残った者も避難途中で被弾、または自決。生還者は僅か28名、 解散命令後の死者は128人にも及びました。
ひめゆりの塔の奥には「ひめゆり平和祈念資料館」があり、沖縄と ひめゆり部隊の歴史を知ることが出来ます。また生存者による体験や 遺品なども展示されています。改めて戦争の悲惨さと愚かさを痛感しました。 第二次大戦と沖縄の歴史を知る上で、是非一度は訪れたい場所です。 尚、館内での写真・ビデオ撮影は禁止されています。
施設内に駐車場はありませんが、隣の土産屋が敷地を駐車場として 開放しています。特に何も買いませんでしたが、文句は 言われませんでした。
左:「喜屋武岬」。俗に沖縄本島最南端とされていますが、実際には 約1km東側に位置する荒崎(右の写真右上)の方が、 やや南へ突出しています。
岬の突端にある「平和の塔」。沖縄戦で米軍に追い詰められ、ここから 身を投げて自決した人の慰霊の塔です。上の左の写真にも写っているのが お分かりかな? 
左:喜屋武埼灯台。
右:断崖を上から撮った写真。足がすくみ背筋がゾッとするほどの 高さです。
那覇へ戻りホテルにチェックイン。本日の宿は国際通りに面した 「南西観光ホテル」。ここは古いビジネスホテルという表現がピッタリ。 シャワー浴びて寝るだけと割り切って下さい。快適なホテルライフは 皆無です。その後、国際通りを散策。土産屋と飲食店が立ち並ぶ、 観光客のための大通りって感じです。
写真は夜の国際通り。

ホテルにチェックインする時に事件発生! ロビーでバウチャーを探している時、 カミさんが恩納村の店で買った琉球グラスを落とし、2つとも割って しまったのです・・・。
明日、北方面へ行く予定があるので、ついでに少し足を延ばして同じ物を 買ってくることにしました。

沖縄最後の夕食です。1軒目に行ったのが「安里家」。泡盛の品揃えは 約85種類。沖縄民謡を聴きながら伝統料理が味わえる老舗。

店内の様子。泡盛の瓶と一升瓶が所狭しと並んでいます。

左:オリオン生ビールとお通し。
右:泡盛を1合頼むと、こんな感じで出てきます。

左:島らっきょう。
右:山羊の刺身。もっとクセと臭いがあって食べにくいものと 思っていましたが、全然そんなことはありませんでした。

左:お約束のゴーヤちゃんぷるー。
右:ミヌダル。豚肉にすりゴマをまぶして蒸した料理。
どうせならもう1軒。ということで入ったのが、島唄と地料理の店 「とぅばらーま」。店内は古き良き沖縄を再現した造り。
古酒の利き酒セット。左から久米仙、琉球王朝、菊之露。 この他に、琉球クラシックの25度、八重泉の30度、どなんの30度を 飲みました。
左:海ぶどう。
右:フーちゃんぷるー。
左:ジーマミ豆腐。
右:アーサの天ぷら。
左:スーチキー。
右:店オリジナルのチヂミ。
この店では毎晩島唄のライブがあります。夏川りみや森山良子が歌って 大ヒットした「涙そうそう」や、beginの「オジー自慢のオリオンビール」 などで大盛り上がりでしたよ。写真向かって左の子はまだ15歳だって。 こんな時間まで出演してて、児童福祉法に引っかからないのかな?
ホテル1階のコンビニで買ったのが、この「オリオン・サザンスター」。 オリオンビールにもいろんな種類があるんですね。シャワー浴びて 缶ビール飲んで、今日も死んだように寝ました。 本日の走行距離は111km。



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