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Krakow Glowny(クラコフ中央駅)7:05発の電車に乗り、Oswiecim(オシフィエンチム)に8:33着。
帰りはアウシュビッツ博物館(第1収容所)前から出発するクラコフ行きのバスに乗る予定なので、ビルケナウ(第2収容所)から見学した方が効率的。
アウシュビッツ〜ビルケナウ間は無料シャトルバスが運行されています。
駅からビルケナウまではタクシーで移動。乗る前に必ず料金を確認すること。
相場は15〜20PLN。中には50PLNも吹っ掛ける悪質ドライバーもいるとか。
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5分足らずでビルケナウ(Birkenau)に到着。料金は15PLN。
まず見えてくるのが、このSS中央衛兵所、通称「死の門」。
第二次大戦中、ナチス・ドイツによってヨーロッパ各地に建設された収容所の主な目的は2つ。1つは軍需産業などに従事させる強制(労働)収容所。
もう1つが、移送されてきた者(主にユダヤ人)を、ガスその他で殺害・処理することを主目的とした絶滅収容所。後者の殆どがポーランドにありました。Chelmno (ヘウムノ)、Sobibor(ソビブル)、Belzec(ベルツェック)、Majdanek(マイダネク)、Treblinka(トレブリンカ)。
その中でも、ここビルケナウが規模も犠牲者も最大。
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まずは監視棟に上がって収容所内を見渡してみました。
正面に伸びる線路の先にはガス室、左にレンガ造りのバラック、右に木造バラックが残っています。
規模の大きさが伝わるかな?
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線路に沿って奥へと歩きます。途中Y字に分かれた先が降車場跡。
その脇に、当時の写真が展示されていました。
貨車から下ろされた人々の奥に中央衛兵所が見えます。
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降車場跡から左へ入ってレンガ造りのバラックから見学。
手前が調理棟、左が住居棟で奥が洗面・トイレ棟。
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左がトイレ。と言っても丸い穴が空いているだけ。S・スピルバーグ監督の映画「シンドラーのリスト」の中で、ガス室行きのトラックに乗るのを逃れるため、子供たちが糞尿が溜まっているこのトイレの中に隠れるシーンがありました。右は洗面所。
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線路を突き当たりまで進むと、左右両側に大きなガス室と焼却施設跡があります。
大戦末期、敗走するナチによって証拠隠滅のため爆破され、今はその瓦礫しか残っていません。
階段を下りて地下へ進むと、その先で選別が行われ、労働に向かない者は右のガス室へ送られました。
選別に携わったのが、あの悪魔の医者と呼ばれたヨゼフ・メンゲレ(Josef Mengele)。
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爆破された焼却場跡。
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両側のガス室と焼却施設跡の中央に、国際犠牲者記念碑があります。1940年から1945年の間に150万人が殺されたと記されています。
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収容所の右奥にあるシャワー棟。
ガス室行きを免れた人は、ここで持ち物を没収された後に髪を切られて裸にされ、シャワーを浴びてから囚人服に
着替えさせられました。
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衣服をスチームや温風できれいにする(説明板には「駆除」と書かれていました)ための、シャワー棟内に残る当時の設備。
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シャワー棟の前にあった「CANADAU」。
収容所に送られてきた人々から没収した膨大な品の中から、金品を選り分けて保管していた場所。
当時カナダがとても豊かな国だと思われていたことから、この名が付きました。
現在残っているのは基礎部分のみ。
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シャワー棟の更に奥、ここは死体焼却が間に合わなかったため野焼きが行われた広場。
秘密裏に撮影された写真が3枚展示されています。
撮影者は不明。なぜどのように撮影されたのかは不明ですが、当時の様子を伝えるとても貴重な写真です。
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野焼きが行われた広場の隣にあったガス室と焼却施設跡。写真の奥が先の広場。
その反対隣では、ガス室行きの順番を待つ人々が林の中で待たされました。
その林の前にあるのが、人間を焼いた灰が捨てられた池。
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これは司令部として使われた建物。収容所の敷地の外に建っています。
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こちらは木造バラック。粗末な3段ベッドが残っています。右の写真はトイレ棟。
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多くの人がSS中央衛兵所と突き当たりのガス室・焼却施設跡、左右のバラックをちょっと見ただけで帰ってしまいますが、絶対に右奥のシャワー棟や野焼きが行われた広場まで足を運ぶことをオススメします。
見学時間は、前者なら1時間、後者なら2時間くらいです。
ビルケナウ〜アウシュビッツの無料シャトルバスは1時間に1本。
ビルケナウ→アウシュビッツは毎正時発、アウシュビッツ→ビルケナウは毎30分発です。
少し前までビルケナウ→アウシュビッツの最初のバスの出発時間は11:00でしたが、最近これが廃止になったらしく、1本目が12:00になっていました!
仕方なくタクシーを捕まえることに。門の前で待つこと約15分、ようやく空車のタクシーが。
ここでも事前に値段を確認。料金は相場の15PLNでした。
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アウシュビッツ収容所の正門。「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」という標語が掲げられています。
収容者はこの門を通って、軍需工場などへ動員されました。
ところで、Bの文字が上下逆さになっていることにお気づきかな? これはこの標語が嘘であることを訴える小さな抵抗だったと考えられています。
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レンガ造りの各棟には、当時の資料や施設、おぞましい虐殺の物証や痕跡が多数残されています。
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写真では分かりづらいですが、その数は半端ではありません。
左:眼鏡
中:義足
右:器や鍋釜
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左:カバン
中:靴
右:ブラシ
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髪の毛の山と、人毛で織られた布。
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住居棟。かなり粗末ですが、ビルケナウの施設とは雲泥の差。
この他にも地下牢や、初めてガスを使った処刑が行われた地下室なども見学できます。
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10号棟と11号棟の中庭にある「死の壁」。この前で2万人が銃殺されたと言われています。
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点呼広場に設けられた、公開処刑用の集団絞首台。
これは戦後に復元されたものですが、実際に処刑が行われた当時の写真が残されており、展示棟で見ることができます。
右は、真ん中に集合を告げる鐘が吊るされた塔。
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左はガス室全景。
屋上に青酸ガスを発するチクロンBを投下する穴があります。15年前は屋上に上がれましたが、今は禁止になっていました。
右はガス室の隣にある焼却施設。
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収容所全体は、このような2重の有刺鉄線で囲われています。
もちろん今は流れていませんが、当時は高圧電流が流されていました。
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ガス室の横の広場にある絞首台。
アウシュビッツ収容所長だったルドルフ・ヘスは、1947年4月16日ここで処刑されました。
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帰りはバス。停留所はアウシュビッツ博物館前の駐車場内にあります。
小さな看板しか出ていないのでちょっと分かりづらいですが、場所は飲み物や軽食を売っているスタンドのすぐ隣。
13:20発のバスでクラコフへ。
通常は1時間40分ほどで着くようですが、今日は混んでいたのか、クラコフ着は15:15。料金は大人10PLN。
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クラコフ着後、チャルトリスキ美術館へ。
世界に4枚しかない、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた女性ポートレートの1枚「白貂を抱く貴婦人(Cecilia Gallevani)」 が収蔵されています。
入場料は10PLN。館内は撮影禁止。
ちなみに他の3枚のうち1枚はワシントンD.C.のナショナルギャラリー、他の2枚はパリのルーブル美術館にあります。その1枚が、あのモナリザ。
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夕食までカミさんと別行動にして、Basztowa LOT停留所から13番のトラムに乗ってPlac Bohaterow Gettaで下車。徒歩10分ほどの場所に、シンドラーの工場跡があります。映画「シンドラーのリスト」は、ここクラコフが舞台なのです。
少し前までは入口の階段や、シンドラーの執務室などが見学できたようですが、現在は2009年9月に博物館として
オープンするための改装中。
外観もきれいに塗装され、最近の建物のようにきれいになってました。
古い看板も外されていて残念。先行公開となった資料室を見学。入場料は5PLN。
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英雄広場近くのLwowska通りにある、クラコフ・ゲットーの壁。
高さは3mくらい。実際に使われていた壁を移築復元したものです。
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ここが英雄広場。場所はトラムのPlac Bohaterow Getta停留所の真ん前。
第二次大戦中、ユダヤ人は強制的にゲットーへ移住させられましたが、その時にユダヤ人学校の生徒が、1人1つずつ教室の椅子をもって移動しました。σ(^^)は見たことありませんが、その様子を撮影した有名なフィルムがあるそうです。
それにちなんで、2005年12月に椅子をモチーフにしたモニュメントが、ゲットー英雄広場に設置されました。
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Plac Bohaterow Getta停留所から再び13番のトラムに乗り、Poczta Glowna(中央郵便局前)で下車。
中央市場広場へ向かう途中で立ち寄ったのが、このドミニカン教会。
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中央市場広場でカミさんと待ち合わせて、夕食は「Chlopskiw Jadlo(フォプスキ・ヤドウォ)」へ。
人気レストランで週末は要予約だそうですが、少し時間が早かったせいか問題なく入れました。
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店内は小さな農家をイメージさせます。
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付け合わせで出されたパン。クリームチーズと豚のラードを塗って食べます。
右の写真のカップに入ったスープ、奥がZurek(ジューレック)で、手前の赤いのがBarszcz(バルシチ)。
ジューレックは発酵したライ麦を使う酸味があるスープ。
バルシチは赤ビートを発酵させて使う甘酸っぱいスープ。
どちらもポーランドの定番。
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