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クラコフ門前停留所15:32発の1番バスに乗って中央駅へ。所要約10分。
駅舎はきれいになっていましたが、基本的には15年前と変わっていません。
今はホームにきれいな売店がありますが、当時は掘っ建て小屋のような小さな店が1軒あるだけでした。
当時喫煙者だったσ(^^)は、この売店でタバコを買おうと「マルボロ1つ」と言ったら、封が開いて中に数本しか
入っていない箱を出されました。
見すぼらしい格好をしているから1本恵んでやるってことか?
と思ったらそうではなく、1本売りだったのです!
当時外国産のタバコの値段は、ポーランド製の約3〜4倍。だからこんな制度があったんでしょうね。
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ルブリン発16:15の電車に乗り、ワルシャワ東駅着が18:35。13番トラムに乗ってOcopowaへ向かう途中、σ(^^)だけStawki停留所で下車。
最初に向かったのが「死の待合場」と呼ばれたUMSCHLAGPLATZ(ウムシュラークプラッツ)。
元々はグダニスク方面行き貨物列車の集荷場でしたが、1942年からゲットーにいたユダヤ人を絶滅収容所
(トレブリンカ)へ送る列車の発着場となりました。
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映画「戦場のピアニスト」の中で、シュピルマン一家がゲットーから追い立てられてきたのがここ。
主人公のウワディクは運良くユダヤ人自衛警察となっていた友人に助けられますが、家族は全員トレブリンカへ
送られ二度と帰ってきませんでした。
ウワディクはその後ゲットーからも脱走し、戦争を生き延びました。
現在は空き地になっていて、その一角に貨物列車をイメージしたモニュメントがあります。
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ウムシュラークプラッツのすぐ近く、Mila(ミワ通り)とLudwika Zamenhofa(ザメンホフ通り)の交差点に、ゲットー蜂起指導者を追悼するモニュメントがあります。
左写真の塚の上に、右の円形の記念碑が建っています。
ここもイスラエルの修学旅行生が必ず訪れる場所だそうです。
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ザメンホフ通りをもう少し進んだ右側の広場に、ワルシャワゲットー記念碑があります。
表側のブロンズ彫刻(像?)は、1943年のゲットー蜂起の様子。
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この辺りには、これと同じ記念碑(?)が各所に設置されています。
ウムシュラークプラッツからザメンホフ通りを南下してワルシャワゲットー記念碑までの間に、少なくとも5つはありました。
英語の説明がないので詳細は不明ですが、1940-1943と刻まれているので、ゲットーに関する何かだと思います。
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ホテルに戻りカミさんと合流。
一緒に旧市街の夜景を見に行く予定になっていましたが、カミさんの体調がイマイチ。
まだ先は長いので、無理せずカミさんはこのままホテルに残り、σ(^^)ひとりで旧市街へ。
Ocopowaから13番のトラムに乗車。
普段ならStare Miasto停留所で下りれば目の前が王宮広場ですが、運悪く現在この区間が工事中。
そこで迂回ルートのMost Gdanski停留所で下車し、徒歩で旧市街へ。
片道1km以上あります。写真はジグムント3世像と旧王宮。
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クラコフ同様、ワルシャワの旧市街もやんわりとしたライトアップ。
写真は暗いけど、実際はもう少し明るいです。
広場の中央には人魚の像(Pomnik Syrenki)があります。
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