滞在記 第6日目
(2009年5月27日 水曜日)


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注) 1PLN(ポーランド・ズオチ)=約36円。
今日は夜までワルシャワの市内観光。11:30にチェックアウト。 そのまま荷物をホテルに預けて、タクシーで王宮広場まで移動。料金は15.8PLN。 これがこのタクシーの料金表。料金は4段階に別れていて、一番安い平日の昼間が1km2.8PLN。 最も高いのが休日の深夜(多分)で、1km8.4PLN。 日本のタクシーにも深夜料金があり、22:00〜翌5:00までは2割増ですが、メーターは自動設定。 ところがポーランドは、1〜4までの数字をドライバーが入力します。 これを悪用するドライバーがいて、乗客が観光客などのカモと判断すると、この数字を不当に入力。 通常より2〜3倍の料金を請求するそうです。
ホテルから15分ほどで王宮広場に到着。 残念ながら、今日はこの旅はじまって初の朝からガン曇り。午後からは雨も降る予報。写真が暗い!(>_<。)
昨晩訪れた、円形のバルバカンと城壁。 両方とも第二次大戦中に完全に破壊されましたが、1954年に復元されました。
バルバカン近くのキュリー夫人博物館(Muzeum Marii Sklodowskiej Curie)へ。1階が店舗(博物館とは無関係)で2階が博物館です。 キュリー夫人は1903年に夫婦でノーベル物理学賞、1911年に単独でノーベル化学賞を受賞。 女性初のノーベル賞受賞者であり、物理学賞と化学賞を受賞した唯一の人物です。 紙幣の肖像になったこともあるポーランドのヒーロー(女性だからヒロインか)。
愛用していた家具類。 左の写真に写っている黒い服と帽子、15年前にσ(^^) がここを訪れた時は、この服を着用している写真と共に展示されていました。
実際に使われた各種実験器具も多数展示されています。
A・アインシュタイン博士と一緒に写っているのは、キュリー夫人の娘Irena Joliot-Curie(イレーヌ・ジョリオ−キュリー)。 夫のフレデリックと共にノーベル化学賞を受賞。 ナント一族4人で5つのノーベル賞を獲得!!
キュリー夫人博物館から徒歩5分ほどの広場に建つ、ワルシャワ蜂起記念碑(Pomnik Powstania Warszawaskiego 1944 r.)。後ろのガラス張りの建物は裁判所。
兵士の像がとってもリアル。 アメリカ・ワシントン.D.C.の朝鮮戦争戦没者慰霊碑の兵士の像もこんな感じだったな〜。
裁判所の前に建つ、バロック様式のクラシンスキ宮殿(Palac Krasinskich)。 今はワルシャワ美術大学として使われていますが、こちらも第二次大戦中に消失。 戦後にショパンの友人だったアントニ・コルベルク(Antoni Kolberg)が描いた絵を元に再建されたそうです。
色彩豊かな建物が並ぶ旧市街市場広場(Rynek Starego Miasta)。 ワルシャワ市街戦で徹底的に破壊されましたが、戦前の資料や人々の記憶を元に完全復活。 壁の割れ目一つまで復元されたとか。
遅い昼食に入ったのが、旧市街市場広場近くのレストランPod Golebiami(ポッド・ゴウェンビアミ)。 某ガイドブックにも紹介されています。
左からソーセージと卵入りジューレック@9PLN、豚のカツレツ・ポテトとザウアークラフト添え@22PLN、ロールキャベツのトマトソース@22PLN。 安くて超美味! ビールも500mlで8PLN。
店を出たら雨、遂に降られたか・・・。ここはサスキ公園(Ogrod Saski)入口にある無名戦士の墓(P.Grob Nieznanego Zomierza)。365日24時間、衛兵によって守られています。 毎正時には交替式があります。
サスキ公園近くにある民族博物館(Muzeum Etnograficzne)。 民具や衣装などが展示されていますが、正直思っていたほどの内容では・・・。 入場料は大人10PLN。
旧王宮広場から南へ延びるクラコフ郊外通り(途中から新世界通りと名前が変わります)は、ワルシャワのメインストリート。 通りの名前が変わる交差点の少し北側にあるのが、この聖十字架教会(Kosciot Sw.Krzyza)。 多くの観光客が訪れる目的は、荘厳な礼拝堂ともう1つ。
正面に向かって左手前の石柱。 ここにポーランドが誇る作曲家フレデリック・ショパン(Fryderyka Chopina)の心臓が埋められています。 教会は第二次大戦中に破壊され心臓もドイツ軍によって持ち去られましたが、戦後再建され、心臓も元のこの場所に戻されました。
聖十字架教会の斜め前にあるのがポーランド科学アカデミー。 その前に鎮座しているのがコペルニクス像(Pomnik Mikolaja Kopernika)。 ニコラウス・コペルニクスは初めて地動説を唱えたポーランドの天文学者。 科学アカデミーの前に建つ像として、これほど相応しい人物はいないですね。
高さ234m、37階建ての文化科学宮殿(Palac Kultury i Nauki)。 冷戦時代にスターリンの贈り物として建設されたとあって、その姿は如何にも共産主義的。 そのためか市民には評判が悪く「ソビエトがワルシャワに建てた墓石」などと揶揄されているとか。 行かなかったけど、中には博物館や展望台もあります。

この後カフェでお茶を飲みながら一休み。これでポーランド旅行は終了です。 まだ少し現金が残っていたので、カミさんがデパートでTシャツを購入。 この時点で残金は30PLN。残ったお金で夜食と飲み物を買うことに。

ホテルに戻って預けておいたスーツケースを受け取り、買い置きしておいた切符を使ってトラムでOchota駅へ。 西駅までの切符を購入、1人3PLNだったので、この時点で残金は24PLN。

時刻は20時30分。ホームへ下りて時刻表を見たら、ナント電車は30分に1本、次の電車は20:56発! 所要時間は3分ですが、プラハ行きバスの出発時間は21:00! ホームからターミナルまでの移動時間を考えるとアウトです!! 急いで階段を駆け上ってタクシーを捕まえようとしたけど、日本と違って手を挙げても停まってくれません。 その時に目に入ったのが、大通りの向こう側に建つホテル前に停まっているタクシー。 信号を待っている暇はないので、トラムの線路と車道を強引に横断。 運転手に「西駅まで10分で行けるか?」と訊いたら、我々の焦りが伝わったのか「OK」の返事。 ホテルの敷地から車道に出た途端、猛スピードで走り出しました。(笑)

ここで心配になったのが料金。残金は24PLNしかありません。 その時カミさんが、助手席下に設置されているメーターを発見。 西駅の敷地に入ったところで20PLNになったので「ストップ!」って言ったら急停車。 時刻は20時45分、10分もかかりませんでした。 何はともあれ間に合って良かった〜! でも残金はたったの4PLN。 結局、構内の店で売られていた一番安いミネラルウォーター、500mlで2.5PLNを1本しか買えませんでした。(涙)

20時50分に乗車手続き完了。 ヤレヤレと思いながら駅の方を見ると、ローカル電車が2〜3本続けて入線してきます。 はっきりとは分かりませんが、ワルシャワ市内にはPKPの他にWKD(近郊鉄道?)が走っています。 もしかしたらOchota駅で、どちらか片方だけの時刻表を見て、30分に1本しかないと勘違いしたのか? そう思って帰国後に調べたら、PKPは数分に1本運行されていることが判りました! ということはWKDの時刻表を見たってことなのかな? まあいずれにしろ、ドタバタはあったけどバスには間に合ったことだし、これも旅の思い出として良しとしましょう!(汗)

プラハ行きのバスは定刻の21:00に出発。 出発時の乗車率は半分くらいでしたが、途中2箇所からも乗り込んできて、最終的には70%くらい。 座席の広さは通常の観光バスと同じ。 幸いσ(^^)とカミさんは2人掛けのシートを1人で使えたので助かりましたが、もし2人で座っていたらかなり窮屈。
乗り心地も決して良くありません。 途中で石畳やトラムの線路が敷かれた道を走る区間がかなりあるので、とてもグッスリ寝るなんて無理。 結局プラハに着くまで、計3時間くらいしか寝られませんでした。



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